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2019.09.16 Monday

鳥の習性? 部屋を左回りでしか飛ばない、頭かきかき、リズミカルな音楽、鏡大好き。

以前は羽を切って飛べないようにしていましたが、なぜか飛べない鳥では

 

あまりにもかわいそうな気がして、自然のままにしてあります。

 

誰も近くにいない時は、自分のホームグラウンドの半畳ほどの部屋で

 

自由に遊んでいますが、誰かが部屋にいるとなると、遊んでくれと一目散に

 

近づいてきて「頭かきかき」のおねだりをしてきます。

 

基本的に放し飼いですので、エサと水さえあればどこへも行かず、

 

お留守番をしていてくれるおりこうさんです。おかげで今年も一泊二日の旅行に行くことができました。

 

最近は二部屋先にある洗面所まで足?を伸ばして遊びにやってきます。

 

鏡に映った自分の姿を見ながら、何か話しかけたり、嘴でつついたり、首をしきりに振って

 

訳の分からない歌?を歌ってとても幸せそうにしています。

 

 

そうでないときは、肩に乗ったままどこへでもくっついてきます。

 

多少うっとおしいと思うこともありますが、老夫婦にとっては今のところ癒しの

 

動物になっています。

 

ところで、不思議なことに気づいたのですが、鳥が部屋を飛び回るとき

 

なぜか左回りにしか飛ばないのです。

 

ネットで調べてみたら、いろいろと理由が書いてありましたが、人間も走り回る時

 

左回りに回りたい気持ちが強いですね。不思議ですね。

 

そういえば運動会も左回りか。

 

 

 

 

 

2019.09.07 Saturday

秋の気配

いまだ真夏の暑さが続いてはいますが、境内の草花は秋の訪れを

 

知らせてくれています。

 

萩の花が咲き始め、シュウメイギクも咲き始めました。

 

 

まだほんの咲き始めですが、お彼岸の頃のシュウメイギクの美しさは格別です。

 

ちょうどイチジクもよい感じに実り始めました。

 

今年は数多くの実をつけてくれましたが、実が小さくて熟さないのではと思っていました。

 

ここまで成長すると一日二日で食べごろを迎えます。

 

明日の朝が楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

2019.09.02 Monday

喫煙

喫煙は本人だけに関わらず、他人にも健康上において多大な迷惑をかけるという。

 

私も50年以上喫煙をしていることから、今までどれほどの多くの迷惑を

 

かけてきたかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいではあるが、

 

ならば、今「禁煙をせよ」と言われると、とうていできそうにもない。

 

 

禁煙をめぐっては家庭内でも大問題となっていて妻から厳しい言葉で、

 

一方的に攻められている。基本的に匂いが嫌いらしく、かなり感情的に攻め立ててくる

 

ことが多い。比較的冷静な時は「健康に悪いから」と諭すように、じわっと攻めてはくるが

 

トゲトゲしさに冷汗をかくことが多い。

 

 

30年ほど前までは職場でも仕事をしながら吸っていたし、来客に対しても、

 

おもてなしの一つとして、灰皿とライターを常設していたくらいだったから、

 

どうにもこれほど嫌われるようになってしまったことが理解ができない。

 

 

マナーを守って喫煙していてもどこか罪悪感さえ感じさせられてしまう。

 

いっそ「たばこ」を無くせばと、開き直りたくもなってしまう。

 

 

 

一方こんな張り紙を目にした。

 

 

この金額の多さと、貴重な財源です。と書かれていることに驚かされた。この矛盾。

 

どんな諌めの言葉よりも、このポスターは効きました。

 

 

こうなればどんなに嫌われても「市民の暮らしに役立つ道」を選ぶか、

 

みな「一斉に禁煙」するかしかないな。

 

この矛盾に、私は禁煙を選ぶ。  できるかな〜〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.08.25 Sunday

償う

昨日のあるテレビ番組でやっていたが、殺人ともなると加害者も

 

被害者(遺族)もその後の人生は悲惨なものである。

 

悔いても悔いきれない、諦めきれないその出来事は双方の人生を苦しめる結果となる。

 

残された道は、加害者は死をもって償う以外に方法はないのか。

 

被害者はそれをもって心安らぐことができるのか。

 

どうにもやりきれない思いが観ているものの心を覆ってしまう。

 

 

その番組では事件は異なるものの、被害者となった遺族がある事件の加害者のいる

 

刑務所を訪ねるという一日があったが、苦しみのどん底にあった加害者に

 

一筋の光を当てた言葉があったようだ。

 

「自分に幸せを感じる心がなければ、相手にも幸せを感じさせることはできない」

 

というような言葉だったと記憶している。

 

 

限られた生活空間の中でも、ただただ懺悔の、暗闇の中でも、幸せを感じて生きることの

 

大事さを伝えられたようだ。

 

朝、目を覚まし、小さな窓越しから差し込む光の美しさに幸せを感じ、庭に咲く花の

 

美しさに感動できるような心を、自分の生と響き合ういのちを見つめていくひたすらな人生

 

こそが唯一被害者への供養、償いにつながっていく歩みとなるのだろう、そう思われたことだ。

 

 

 

ずいぶん前に妻が書いた夏目漱石の詩が掛けられている。

 

人間には「縁」があれば、どんなことでもしてしまうという悲しい現実がある。

 

その悲しさにいつも見捨てずに寄り添ってくださっている仏様があることを、忘れないで

 

生きていってほしいと願うばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.08.23 Friday

カジキの刺身が私の贅沢。

ひと月に一度は食べたくなるカジキの刺身。

 

ところがカジキは近くのスーパーにはめったと売っていない。

 

売っていたとしても、新鮮さに欠ける冷凍ものがほとんどである。

 

時々「生」と書いてあったとしても、ほとんどは半生である。

 

そんな中、岐阜の加納にあるアピタに入っている魚屋さん。ここはまさに

 

「生」を売っている数少ないお店だ。

 

今日はその「生」が食べれる一日となった。

 

 

分厚い切り身が8切れ。普通の刺身の1.5倍〜2倍の厚さで600円切る安さ。

 

つまも新鮮でしゃきしゃきである。

 

わさびをたっぷり乗せて口に放り込む、この舌触りと歯触りは最高の気分。

 

これを思うと100円寿司も高いな〜と思ってしまう。

 

もちろんカジキは100円寿司にはないみたいですが、あのペラペラ感のネタであったら、

 

楽に2枚分は取れる分厚さだから、やはり100円寿司は高いですな〜。

 

 

私は油濃いものが大の苦手でマグロのトロとか高級牛肉など気持ち悪くて

 

食べられない経済的にはよくできた体。

 

おかげで妻には喜ばれている。

 

寿司では季節ものの「とり貝」が一番の好物。

 

これもなかなか良いものに出会えないんだよな。

 

私の食の贅沢はこんなところかもしれない。あとは白いご飯とうまい味噌汁があれば

 

文句なし。

 

 

2019.08.12 Monday

鬼灯が手に入らない。

例年ご門徒からいただく鬼灯が未だ届かない。

 

今年は雨が降らないのと、この暑さで黄色くなってダメになってしまったの事。

 

しかし、お盆には鬼灯がないと何故かさみしい。

 

さっそく花屋さんへ出かけてみたのだが、一切入ってこないのだという。

 

スーパーなどでは仏花として組んであるものはあるが、ひと花?が串に刺したような

 

もので、何とも味気ない。

 

本堂の花瓶にはとうてい似合わないし、短か過ぎて使い物にならない。

 

せめて7〜80センチはないと・・・。

 

困ってしまい大垣で一番大手の花屋に出かけてみた。

 

そこには何故か山ほどあってビックリ。

 

品不足で値が張ることもあって、大手の花屋でないとでないと手に入らないらしい。

 

確かに立派で高額ではあったが、救われた思いだった。

 

 (これはお墓用にと小さく切ったものだが、ほんとに立派な鬼灯だった。)

 

 

鬼灯は、ご先祖様がお盆にあの世から還って見えるという言い伝えから、

 

道に迷わないようにとの思いから、灯りに見立てた鬼灯を使い始めたのだという。

 

さらにはご丁寧に赤白の提灯を墓の両サイドに付けるという習慣まであるのは

 

おもしろい。ちなみに初盆のお宅の提灯はを使うという。

 

夏の風物詩としていかにもお盆らしく思えてくる。

 

 

浄土真宗では鬼灯や提灯に拘ることはないが、なぜか鬼灯がないとお盆らしく思えないのは

 

まさにこの地方の習慣としてすっかり根付いているからだろう。

 

 

真宗ではご先祖は諸仏として私たちに常に回向というかたちをとってはたらきかけて

 

くださっていることから、お盆に限らずそのことへの感謝の思いをお念仏としていただいて

 

いるのである。

 

したがってお盆に先祖が還っておみえになるという感覚は持っていないことから、

 

鬼灯も季節の花として、仏花に使っているということになるはずだ。

 

 

よく「お盆経」をお願いしますと言われることもあるが、そういうお経は特別ないので、

 

お盆をご縁として三部経のいずれかを読むことにしている。

 

 

ともあれ、お仏華には見事な鬼灯を菊花に添えて荘厳を終えることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.08.05 Monday

「思いが怖い」と。

       ご門徒との会話。

 

「今日も暑いですね」。「ほんと年寄りには厳しいですわ〜」。

 

「世の中も気象もみんなおかしくなりましたね〜」。「ほんとやね〜」。

 

こんな、たわいもない会話でしたが、確かに気候も人間もどこか異常なほどおかしい。

 

気候については人類が文化的な生活と引き換えに犠牲にしてきたことですから、

 

当然のことといえば当然の結果ですが、国内外の残虐、悲惨な事件を見ていると、

 

人間いったいどうなってしまったのか、と怒りと悲しみと絶望感が心を塞いでしまう。

 

 

その人曰く。

 

 

「でも、私は何となく犯罪を犯す人の気持ちがわからないでもないわ」。と。

 

私は一瞬ギクッとしましたが、

 

 

その人は言葉を続けられたのです。

 

「みんな社会に対する得体の知れない不満や鬱憤みたいなものがたまっているんですよ。

 

だからと言って事件を起こしてもよいと決して思はないし、被害に遭われた人の気持ちを

 

考えるといたたまれないのですが、私には何となくわかる気がする」。と言われたのでした。

 

そして最後には「実は、そう思う自分が一番怖いですわ」。と締めくくられました。

 

 

どの事件の事を頭に描きながらおっしゃったのかは分かりませんが、

 

自分の内面を見つめ直してみれば、どこかで共感できる部分があった

 

のかもしれません。

 

 

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」とは親鸞聖人の歎異抄の言葉であり

 

ますが、人間の誰しも思いを超えた深い部分には、縁があればどんなことをも犯してしまう私が

 

あることを改めて自覚させられてくるのです。

 

 

私たち一人ひとりが、私の、の「私」を超えた「いのち」そのものについての

 

思いを深め、相互の存在の大切さを確かめていくことは、ますます複雑化し、孤立化し

 

人間が人間として生きていくことの困難な時代に突入していくだろうことを思う時、

 

大切なことではないかと思うのです。

 

 

AIロボットで間に合ってます。なんて言われないような時代にしていきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.08.01 Thursday

信州の旅その2

旅をするのに充分な時間の取れない状況のある中、

 

毎年一泊二日の旅をするように心がけている。

 

今年もいろいろ悩んだが、再び信州へ行くことにした。

 

なんとなく信州の風土が好きなのである。地元の人たちも純朴でほっこりとした気分に

 

させてくれるのがよい。

 

ホテルは斑尾高原ホテルに決めてそこを拠点にあちこちと走り回ったという感じだった。

 

最初に出かけたのは妻の要望でもあった「高橋まゆみ人形展」であった。

 

 

 

館内は撮影禁止であることから、撮影された写真(上記掲載ポスター写真作家)を撮影してみたが、いずれの作品も独特の世界観を

 

醸し出している作品ばかりだった。

 

 

ここ飯山市近辺には寺町通があり、12〜13ケ寺が通りに沿って立っている。

 

本当に寺が多くて、仏壇屋も軒を並べている。さすがに信仰心が深い人たちの住む町という感じが

 

伝わってくる。

 

中でも浄土真宗の称念寺は苔むす境内がひときわ美しかった。

 

 

いわれのあるお寺では「正受庵」という臨済宗の寺が少し離れた場所にあった。

 

できるだけ多くの寺を回ろうと思っていましたが、さすがにこの日の暑さには勝てませんでした。

 

東山魁夷の画題の場所としての希望湖へも立ち寄りました。お天気が良くなかっので色彩の美しさは

 

いまいちでしたが、静かな湖面に船を浮かべ、釣りをしている人が絵になりました。

 

 

この辺り、私の大好物の蕗が山ほどあり、ありました。

 

紫陽花も今を盛りに咲き誇っていました。妻曰く、これ「黒姫」という種類のヤマアジサイとか。

 

自坊にもあったのですが、育てるのが結構難しく、絶やしてしまったとか。

 

蕗や、アジサイを横目に見ながら、早々にホテルへと。

 

高原なので、きっと涼しいだろうと思ってはいましたが、下界の温度とわずかしか違わず、

 

それに蒸し暑いことから、すっかり期待を裏切られがっかり。

 

景色は文句なかったのですが、夜は蒸し暑くて熟睡ができませんでした。霧が出ると余計に蒸し暑い?

(エアコンかけてもジトっとして気持ちが悪かった)

それでも食欲は全開。バイキングでしたがたっぷりといただきました。

 

2日目は、野尻湖湖畔にある「ナウマンゾウ博物館」、「黒姫童話館」、そして私の行ってみたかった

 

「一茶記念館」へと向かいました。

 

ここには一茶を顕彰して建てられた「俳諧寺」や「墓」などがみられました。

 

 

この堂の格天井にはここを訪れた著名な俳人の句が掲げられています。

 

 

一番心に響いたのは、一茶の句でした「ともかくもあなた任せの年の暮れ」という句です。

 

この句を通して、一茶の信心の深さが感じ取られたからです。

 

解説文が展示されていましたが、撮影禁止であったことから文面だけを読んでみました。

 

他力のとらえ方が、まさに妙好人のような信心からほとばしり出るような言葉でありました。

 

 

やはり信心深い土地柄に育ったことが、深く生き方にしみ込んでいるのだと感慨深く

 

思われたことでした。

 

 

 

 

 

 

 

2019.07.25 Thursday

「お経を習いましょう」に思う

子供を対象にしたお経のけいこを今日から始めた。

 

参加した子供の数はわずかに5名。さみしい限りである。

 

親を入れても7名、あとは坊さんである。

 

子供会に働きかけても、ビラを配っても効果はなし。

 

様々に理由はあるのだろうけれども、子供も親も一日のスケジュールが

 

いっぱいで朝の一時間ほどの余裕がないということが大きな理由ではないかと

 

思われる。

 

 

また核家族化により仏法が日常生活に息づいていないということもある。

 

親から子へ、子から孫への「こころ」の伝達が途切れてしまったいることは

 

残念なことである。

 

本当に尊いことを伝える人が身近にいないことは、悲しいことである。

 

特別に浄土真宗がどうこうという話ではなく、「こころ」を育てる教育をしていかないと

 

とんでもない大人たちが増え続けるのではないかと危惧している。

 

 

住む家があっても同居を嫌いローンを組んで家を建て、子供のために、子供のためにと

 

働き続けて「金」を稼ぐ。親の面倒など見ていられるわけがないではないか。

 

金のいることばかり増えて、「金」で苦しめられる人生の幕が開くこととなる。

 

しかし困ったことに、この循環をよしとする風潮がますます増えてくるのはおかしなことだ。

 

人口が減っているのに、新しい家がどんどん建っている。

 

 

私なんどは保育園も、ましてや幼稚園も通っていなかった。

 

周りはみんなそうだった。いきなり小学校入学。それでも

 

親も子もその貧しさにじっと耐えながら、近隣の人たちをも巻き込んで

 

心の通いあう楽しい人生を歩むことができた。

 

 

今は一人一台の車に乗って、いい家住んで、子供を大学まで出して、

 

しゃらしゃらと生きる。これが当たり前の時代となった。

 

それでも不平不満ばかりをつのらせているのはなぜか。もっと、もっとと亡者になる。

 

これが平成・令和の地獄というものであろうか。

 

 

少子化問題、老人介護施設、保育所不足等、すべて核家族化がもたらした

 

問題であるような気がしてならない。中途半端に経済的にゆとりができたことが、

 

人間に錯覚を起こさせているのだろう。

 

 

現在の日本築き上げてきた祖父母たちの責任は重いのではないかと、自分自身の

 

反省を含めて思うのである。

 

 

5人の子供と、大人による「お経の唱和」が早朝の本堂に満ち満ちていた。

 

そのあとのお楽しみ会では、ジュースが配られ、「ほとけさまの心」という

 

本山から出されているDVDを鑑賞しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.07.23 Tuesday

まさかここまで。

あるお宅の月命日。

 

深刻な顔で葬式をしてほしいとの申し出があった。

 

事情をよくよく聞いてみると、

 

実の弟さんが亡くなって、すでに家族のみによる火葬が住んでいるのだという。

 

弟さんが亡くなったことは知らされていたが、来てくれなくてもよいと連絡が

 

あったのだという。

 

葬儀を行ったのかどうか、法名もないそうで、兄として耐えられない気持であると

 

おっしゃったのです。

 

妻も子供もあって、一体どういうことだと。

 

癌で亡くなられたそうなのですが、曰くこれは夫の「遺言でした」。とのこと。

 

また「町ではみんなこんな感じで行うのが普通だ」と言われた言うのです。しかし、

 

本当に兄弟にも来てもらわなくてもよいなどと弟が言ったのか信じられないという。

 

特別兄弟は険悪な中でもなく、むしろ親密に付き合っていた家族同士であったという。

 

 

これはいわゆる「直葬」と言われるものなのだろうが、人間の最期がこんなものでよいとは

 

思えないのだがいかがなものだろうか。

 

かたちはどうであれ兄弟の縁も切られたようなあり方には、私も信じられない

 

気がしてならない。

 

近年家族葬、家族葬と近隣との縁を切るような葬儀が流行りで主流になって

 

きてはいるが、この流れのどん詰まりのかたちがこれなのかと寒気がしてしまう。

 

「死んだら終わり」と本人も家族も考えて生きてきたのだろうか、そして生きているのだろうか。

 

これが人間が築き上げてきた豊かで幸せな社会のありようなのだろうか。

 

 

今月の初旬に亡くなられたそうなので、今月内に葬儀をするということになった。

 

法名もなく遺骨も火葬されたままで、何もないのだそうだ。

 

何もないけど、せめてお経だけでも読んでいただきたいとのことでした。

 

弟がかわいそうで、かわいそうでの兄の思いが心にしみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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