新元号に思う
平成から令和へ。感動的で記念すべき一日であった。
「令和」という元号は、その説明で日本的で意味の深い、素晴らしい言葉であることを
知ったが、同じ2文字を使うなら字の和令の方が個人的には書きやすいように思うし、
字の座りも良いように思える。ともあれ「令」は新鮮な感じがしてよいと思う。
話は少々飛躍するが、今回の「改元」名を決めるあたって、日本人の「縁起担ぎ」の根深い
ことを知る機会でもあった。
方角にこだわり、月日にこだわり、字画にこだわりる人が意外に多いということは
わかってはいたが。根拠もないことで占いに走り、現世利益の信仰にのめりこんでしまう
人も結構にいるという。
信じているのか、いないのかはわからないが、結果はあまり気にしないのも日本人
の面白いところのようだ。
「平成」という字も様々な思いや願いが込められた元号であったと思うが、
平成とは思えないとんでもないことばかりが次々と起こっていたように思う。
人間の願いや思いは、人間の作る社会ではこんなものなんだと事実は
物語っているように思えた。
私は名前や称号と現実は何の関係もないと思っているから、落胆も何も
感じはしないが、「平成」という時代はこうだったというだけのことである。
さて、この記念すべき「改元」の日を国民のすべてが待ちわび、思いを新たにと
胸躍らせていたわけだが、「元号」が発表された瞬間、歓喜が湧きおこり、
一気に世の中が動き始めたような、そんな気がした。
驚くべき速さで記念Tシャツは出来上がり、せんべいに飴にカレンダーが
さも得意そうにテレビの画面を占領し、勝ち誇っているようにも思えた。
時は金なりだ。
「改元」ご利益はどれくらい?かな。
暫く世間ではこんな話で盛り上がるのだろうが、
私にとってはこの日の「改元」を厳粛に受け止め、「平成」に感謝と、「令和」に
期待をもって、わずかに残された自身の人生を生き切っていきたいと思っている。
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