死んだら終わり?
- 2019.04.27 Saturday
- 22:11
忌明け法要の後、短い法話をした後、親族の方がしきりに
「死んだら終わりや。だから生きているうちに好きなことを
やっておかんと後悔する」。といったようなことを話してお見えになりました。
私は施主に聞こえはしないかと、びくびくしておりましたが、
こういった考えの方が結構多いことは日ごろから感じておりはしました。しかし
愛する人を亡くした方にとってはとんでもなく残酷な言葉ではないでしょうか。
本当に「人間は死んだら終わり」として済ましてよいのでしょうか?
諸仏となられた亡き人の願いを受け止めて、私の人生を確かめていくのが
法要の大切な意義であると思っているのですが、「死んだら終わり」の
人生しかご先祖から受け継いでいらっしゃらないのかと、少々さみしく思われたことでした。
いったい私たちは何のためにこの世に生を受け、何のために生きているのか。
今一度考えてみたいものだと思われたことでした。
あの震災や津波、交通事故で無くなられた方々のご遺族は
「死んだら終わり」で済まされない深い心の痛みを抱えながらも生きて
いらっしゃることを思うとき、あまりにも残酷な言葉として私には聞こえたのです。
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何とも情け無いというかさみしい話しですね。
世の中には、このような人が結構多いのでしょう。
このような時、親鸞聖人の還相回向が頭に浮かびます
浄土に安住することなく、娑婆をめぐって、望ましい
生き方、考え方を自覚していただくよう努めることが
門徒の生き方だと改めて思った次第です。
まだまだこれからですね。悲しいですけれど・・・。