巣立ちに思う
- 2020.07.02 Thursday
- 14:34
数日前、車庫のあたりがやたら騒がしかった。
何ごとかと思えば、どうやら燕の巣立ちの日のようだ。
十数羽の燕が鳴き声を上げながら、車庫の周りを旋回している。
時には車庫の中に入り込み、まだ幼いと思われる燕の子どもたちに巣立ちを
懸命に促しているように見えた。
我が家では久しぶりの光景である。
かつては蛇やカラスに餌食にされてばかりだったからである。
それにしても親ばかりでなく仲間たちも集まって、巣立ちを促しているであろう
姿には感動してしまった。
ところが一羽だけ巣立てない燕がいた。
巣からは出れるものの、外へは飛び立てないのだ。
この子はどうなってしまうのだろうと、心配し数日見守っていたが、えらいもので親や
子どもたちは近くでいつも見守っているのであった。
寝るときは兄弟三羽でいるが、親は別の場所にいるようで餌は三羽ともまだ親頼みのようである。
(親二羽、兄弟二羽)
三羽の子どもたちも生育状況に大きな差があったようで、この状況になっているのが、
おかしくもあり、微笑ましくも思えたことである。
そして今日どうやら全員巣立っていったようであった。
最近では各家庭においては巣を作らせないようにしておられるとか。
糞で汚れることや、蛇やカラスの餌食になることがかわいそうだということらしい。
たしかにそうは思えるが、新しい命の育っていく過程を見つめていると、私たち現代人の
忘れかけている心が蘇ってくるように思えてくる。
親の愛の在り方や、兄弟や仲間の絆や、すべてが確かな生きる術として凝縮されているようで、
繋がるいのちとしての循環がここにあるように思える。
また一つ生きる意味を教えられたような気がし、良いご縁に出会えたことを喜んでいる。
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