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2020.07.18 Saturday

ある葬儀で

昨日、91才で亡くなられたおばあさんの葬儀を執り行った。

 

いつも「にこやかに」が、この人のイメージではあったが、喪主の挨拶でも

 

やはり同じような挨拶を聞いた。

 

我慢強く、弱音を吐かない人でもあったようだ。

 

晩年は透析をされていたようだが、辛いはず透析も「どうってことないよ」と

 

息子の思いやりを軽くかわされていたようだった。

 

ところが最近、朝起こしに部屋へ行くと、必ず「今日は何曜日?」と聞かれたようだ。

 

そして、透析のある曜日にあたると、「行きたくない」ようなことを言い出したという。

 

初めての人生での弱音だっという。

 

それから間もなくの事であった。

 

透析の最中に血圧が下がりすぎて、救急車で市民病院に運ばれが最期を迎えたという。

 

 

当日は親族葬で行われ、30〜40数名はどが参列された。

 

印象に残った喪主の挨拶の言葉には「一所懸命に今を生きる」。ということを個人から

 

教えられたという。

 

 

それを受けて、私は「還骨勤行」の話のなかで、次のような話をした。

 

 

「死んだら終わり」。の思いで生きないでほしい。ということと、

 

「生死一如」の説明をするつもりで、谷川俊太郎の詩を紹介しました。

 

うまく伝えられたかどうかは別として、頷きながら聞いてくださっているようにも思え、

 

意義ある葬儀になったかと思った。

 

 

「死はいつもここにいた 今も昔も 死はいつも人のかたわらにいた 人とともに歩き

 

人とともに走り 人とともにたたずみ 死はいつも静かに生きてきた

 

死は墓地にはいなかった 死は海にいた 死は道ばたにいた 谷川俊太郎

 

 

人間は生まれた瞬間から、死を背をって生きる。

 

死を背中合わせにしながら、与えられた人生を自分の人生として生きていく。

 

生まれたての赤ちゃんも、100才を超えた老人も「明日が分からない」条件は

 

平等である。

 

だから、今を懸命に生きることになる、生きてほしい、ということでした。

 

 

ひ孫が最後の別れで、御遺体をしっかり見つめながら、小さな手を振って

 

さよならをしていました。

 

きっと「おおばあちゃん」は、いつもこの子に寄り添って見守っていてくれることでしょう。

 

 

遺族の皆様の人生が、明るいものでありますように。     合掌   

 

 

 

 

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